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星と私
私にとって星とは、自分自身である。星空の下にいると、落ち着いていろいろ考えられ、本来の自分に戻ることができる。その場所が海や山であると相乗効果で完璧。絵を観に行ったりクラシック音楽を聴きにいくのも大好きだけど、それらよりもっと「癒し」の要素が大きい。
父の影響か、物覚えのついた頃から理系なことばかりに興味を持った。小学生の頃から星にも興味はあったが、その頃は星はプラネタリウムの中での世界だった。それが変わったのは、ハレー彗星が来たときである。祖母が北海道か沖縄に連れていってくれるというので、ハレー彗星を見ようと沖縄へ連れていってもらった。そしてハレー彗星を見た。ハレー彗星にも感動したけど、それ以上に頭上に広がる満天の星空に心奪われた。ま、小さかったからね、ハレー彗星。まだ宇宙というものがわかっていなかったし。天の川もその時に初めて見た。そのとき思ったのは、なんだこれは! 今まで見ていた空はなんなんだ?と。自然なのに不自然な感じなのだ。このときは、ただただボーッと眺め、唖然としていた。星空に吸い込まれるような感じがした。ちなみに東京生まれの横浜育ちである。その後の中学では迷わず天文部に入った。
中学に入ってからは、とにかく星に関わることを調べまくった。当時3誌あった月刊の天文誌は全て読んでいたし、Newtonはもちろん日経サイエンスまで読んだ。将来は天文学者になるんだと。そして国立天文台(まだ東京天文台だったかな)の見学にももちろん行った。三鷹はもちろん、野辺山や木曽まで。天体観測の活動は、主に写真撮影。最初は基本の固定撮影。そして天文誌の影響で天体写真への興味が増え、写真撮影用に望遠鏡も買った。中学・高校の天文部での活動で一番印象に残ったのは、中1の時のペルセウス座流星群。1986年かな。かなり本格的な流星観測をしていたんだけど、記録が追い付けないほど多くの流星が飛んだ。流星ひとつでも感動なのに。あまりにも衝撃的で、魅入ってしまったため、何度も報告を忘れた。すみません。記録的にはあの年のペルセはどうだったんだろう。初めての流星群だったから強調されすぎているかも。
こんなに好きな星なのに、天文学者への道に疑問が出てしまった。中3頃かな。将来食っていけるか、なんて野暮な問題ではない。大事だけど。それより、空が晴れている時は観測所に籠るから星は見られなくなるんじゃあ・・・。本当にそうなのかはわからないけど、ふと思ったのだ。そして、自分がしたいのは星を調べることではなく見ることだ、と気がついた。そして天文学への道を進むのをやめた。ちなみに同じ天文部所属で、野辺山の電波望遠鏡など天文に関わる施設には必ず一緒に行き、天文学への道を共に志した友人がいるのだけど、その人は現在、電波天文学に関わっており、初志貫徹しなかった立場としては、ちょっと心が痛かったりもする。彼はある意味、もう一人の自分なのでこれからもがんばってほしいと思っている。
さて、そんなこんなで、大学では生物の道を歩むことになった。実は星に興味を持つ前は生物学者になりたいと思っていたので、そんなに不自然ではないんだけどね。それはともかく、サークルはもちろん天文サークルに入った。しかも3つあるうち2つに所属。どちらでも本当に楽しく過ごせた。ここでも星の写真をメインに活動していた。ところがこの頃、また大きな変化が訪れた。大学2年のときに、オーストラリアへ行った。憧れのエアーズロックへ行き、いつものようにバシャバシャ星の写真を撮りまくった。その時の星空は本当に凄かった。あの空ほどの感動は未だに他に経験していない。宇宙と書いて「そら」と読む感じだ。なんのこっちゃ。本当にここが宇宙の一部であることを実感し、その宇宙に飛び出しそうな感じだった。その時思ったのは、「写真を撮る時間が惜しい。1秒でも長くこの宇宙(そら)を感じていたい。」だった。そして、このとき以来、撮る天体写真の数は減った。そして次の年、ヘール・ボップ彗星の出現。九十九里浜で見たんだけど、あの巨大彗星が海から出現したときは我が目を疑った。彗星を見て天変地異の前触れと感じた昔の人々の気持ちがわかる。畏敬の念に溢れた。動けなかった。
星に対する活動がフェードアウトしているようにも見えるけど、そうではない。初心に戻っただけだ。沖縄で生まれて初めて満天の星空を見たときの感動を思い出したのだ。そう、求めていたのはこれなんだ!
宇宙を感じている時って、自分が無になるというか自分と宇宙の境がなくなるというか、そんな感じなんだよね。この感動を感じることができる限り、生きていける、そう思っている。
P.S. ちなみに、星の写真を撮らなくなったわけではない。天文学っぽい写真は撮っていないけど、「美しい写真」を求めた時に星が入っている、といった感じ。もうひとつ。中国では、宇宙の「宇」は空間、「宙」は時間を意味するそうで、つまり「宇宙」とは時空、つまりこの世界の基本でありそのものでもある。よくわかる。すばらしい言葉だ。